リレー小説(現在無題)



時間は少し巻き戻る。
それは、マリアが侵入者と相対した頃。
「……………………ひずむ、か」
月が、歪んでいる。
「さて、取り乱すところだったな。私らしくもない。だがまぁしかし、『彼』に良く似た魔術だったのだから仕方ない。…もし本当に『彼』だったら、私はどうしていたのだろうな?」
中空の欠けた月は、確実に移動している。
「さて、困ったものだ。これほど大掛かりな魔術を執り行われると、『森の結界』に異変が生じてしまうのだがね。早急に新たな結界を取り払わねばならない、が。…しかし、面白い。これほどの規模での空間歪曲魔術は、『彼』の行使する術以来だ」

『森の結界』。
それを支えるのは『彼』のもたらした技術と、要所要所に配置された『さかずき』。『杯』の意味するものとは、四大元素、地、風、火、水で言うところの『水』。また、魔術的意味をもってして、『無限への広がり』を表象する。つまるところ、『森の結界』の魔術とは、森全体を一種の神殿と化す魔術に他ならない。自分の好き勝手に操作が出来る、神殿に。
故に、何も知らぬ人間では無限に広がりを持つ森の中で朽ち果てるほか無い。邪魔な存在を退ける為の、いわば人払いの魔術でもある。
そして、今の現象は、その『森の結界』の上に更に別種の結界を張り、中の空間を間接的に操作しているのだろう。このまま好き勝手にやられると、『森の結界』すらも歪みかねない。
それに、『森の結界』の意味は人払いだけではないのだ、無くなると困る。
幾つかの魔術式を組み込み、術式を即座に発動させることが出来るようにしてある。マリアなどはそちらの意味合いでの『森の結界』を重視していて、彼女は全ての仕掛けを効果的に使うことが出来る。時折現れる侵入者の撃退などは、彼女単独で撃退できないような力の差の相手でも、私に頼ることなく削除してきた。彼女得意の『架空空間闇よ、喰らえ』も、彼女の術式ではない。或る術式を作動、『森の結界』と合わせることで完成する、この森限定の高位魔術だ。要約すると、架空の空間を魔術で一時的に作り出して、相手を放り込む。魔術で無理やり作り出した空間は、すぐに消えてしまう。呑み込んだ相手ごと。
まぁ、これだけの限定条件を考慮しても、素晴らしいものだ。現役の時空間魔術師が見たら、卒倒モノだな。
一般的に空間、時間に関する魔術は研究が遅れている。何故なら、空間と時間とは密接な係わり合いが有る。そして、空間の魔術は時間の魔術の上に存在する。つまり、基礎数学と応用数学のようなものだ。時の概念を理解しなくては、空間を視る事は出来ないのだ。
しかし、両者に共通した問題がある。これこそが研究の遅れている最大の問題なのだが、まったく割に合わない。
仮に、時間を一時間戻すとしよう。その魔術を完成させるためには熟練した魔術師、ないし魔導師が数人がかりで、丸一日経ってしまう。人数を増やすなり、術式を複雑化、高速化するなりすればいいのだが、これだけ割に合わない魔術だと誰も進んで研究しようとはしない。空間魔術もそうだ。一つの部屋の空間を単に広げるだけでも、莫大な時間と労力が必要だ。『架空空間』が相手ごと消え去るのも、消そうとして消すのではなく、単に『消えてしまう』のだ。
しかし、『彼』は違った。その類稀な魔術的才能で以って、『大規模時空間魔術』を完成させたのだ。誰も成し遂げたことの無い偉業を。とは言っても、『彼』は私たちの所属していた組織の人間は勿論、私を含めたごく一部の人間に、実演した程度で、殆どの者は『彼』が偉業を成し遂げたことを知らない。その、実演を見た一部のものでさえ、その殆どはその術式を解析するには至ってはいない。この『森の結界』とて、それを見た我が主が局所的に理解、自らの魔術と混ぜ合わせ、構築した術式だ。
「懐かしい、な。ふふふふ…。」
それから暫くして、『彼』は『あの日』を迎え、私たちの前からその姿を消した。
或いは、これは『彼』の挨拶かとも思った。しかし、『彼』では無い。それだけが残念だ。これほど大掛かりな魔術を独力で易々と出来るとは思わないから、おそらく『彼』の関係者であるのは確かであろう。
「ならば、迎えてやらねばならんな。客をもてなすは、執事、家仕えの仕事だ」
マリアが帰ってきたら、早速準備をさせるとしようか。私は私なりの準備をして、客を待つとしようか。
「しかし、此処まで月が歪んでいくと、よほど面白いな。………ああ、そうか、『歪な』月…。そうか、『歪な』月だ。ふむ、なかなかいいんじゃないかな?」
…さて丁度、侵入者も一人減ったようだ。まぁ、『彼』の関係者の一人だとすれば、こんなにあっさりマリアが片をつけられる訳は無いのだが、来るものは拒まず、だろう。
「そうだ、いいことを思いついたぞ。宴を開こう! 『彼』に接触できるかもしれないまたと無いチャンスだ! ああ、そうと決まればしっかりとした準備をしなければいけないな。私は、内装なかを整えるとしようか。他の準備はマリアに任せるとしよう」
そうと決まれば、『アレ』を用意しよう。さあ、久方ぶりの宴だ。少々気合を入れていかねばならんかな。

私は幾年も入らなかった部屋へ足を運ぶ。しかし、恐らくは塵一つあるまい。マリアは、完璧なものだ。私が言っていなくても此処が整頓されているだろうことは想像に難くない。
「しかし、皮肉なものだ…」



◇◇◇

「ふむ、そろそろマリアも帰ってくるはずだが…」
思ったよりも時間がかかりそうなので、私はひとまずマリアを出迎えることにした。
バンッ!
「マスター!」
「帰ってきたか。いいタイミングだ」
私は一人ごち、ゆっくりと、マリアのいる大広間へと降り立つ。恐らく彼女はとても慌てている。ならば、落ち着かせる必要がある。客に粗相があっては立つ瀬も無い。
 「マリア、散歩はもうお終いかい?」
 何時もよりいっそう深く聞こえるように話しかける。私も随分と落ち着いているようだ。もっと、興奮しているかと思ったが。まぁ、『彼』自身がいるわけではなく、『彼』の関係者と決まったわけでもない。こんなものなのだろう。せいぜい、宴が無駄に終わらねばいいのだがね。
 「マスター。月が…」
 「分かっているよ。位置がおかしくなったのだろう? 懐かしいな…あの時もこんな、歪な月が狂った位置に昇っていて…。そうそう、『出来損ないの』月ではあまりに可哀想なのでね。ずっと言葉を探していたんだよ。『歪な』月…、どうだい、これならしっくり来るだろう」
 「はい、言い得て妙、これほどに似つかわしい言葉もありません」
 「そうだ、マリア。君はそうでなくてはいけないよ。子供のような無邪気さと、大人びた落ち着き、それらを兼ね備えているからこそ、君は君として生かされる」
そう、彼女の本質は『二重性』にこそあるのだ。こうでなくては困る。
 「はい」
 「カトブレパスの足を洗っておくれ。泥のついた足では絨毯が汚れてしまう」
 「申し訳ありません。急いでいたものですから。今すぐに」
 「それが済んだら、ワインとグラスの用意を」
 その言葉が何を意味するか、聡明な彼女はすぐに悟ってくれた。
 「グラスは…」

そう、宴の始まりは、
 「そう。三つ用意してくれ」
三つのグラスだ。

「さて、私は準備に戻る。カトブレパスの湯浴みが終わったら、準備にかかってくれ。解っていると思うが、ワインは、」
「”das Blut von meinem Meister”ですね?」
「流石だね、マリア。では、宜しく頼むよ。ああ、本当に愉しみだ。客が何時来るかわかったものではない。早々に頼むよ」



◇◇◇

―――同時刻―――
「首尾は?」
「上々。メイドの方とやり合ってきた」
そこに居たのは、二人の男。同じ紋様のマントを羽織り、フードを被っている。
「百回やって何回勝てる?」
「十五回、ってところだな」
「…後の八十五回は?」
負けない・・・・回数だ。あの程度の空間魔術の抜け穴、何度でも作れるさ」
そう、そこにいた一人は、先ほど虚無に喰われたはずの男。所々に軽症・・を負ってはいるものの、行動になんら影響があるとは思えない。
「当然だ。己の行使しない術に力なぞ無い。メイド自体の術式は?」
「さてね? ナイフを振るっていただけに見えたが? それよりも、危惧すべきはやはりあの猪だと思うが?」
「カトブレパスか」
「ああ、なんたって、『魔眼持ち』だ。それに頭も良いようだぜ? 流石にこの結界の中で一人で捕獲できるとは思わん」
カトブレパス。古より語り継がれる魔獣。独眼の猪にして、その瞳は魔眼。瞳で以て視るだけで、外界に影響を与える眼。
そして、カトブレパスの魔眼は、見たものを石に変える、呪いの魔眼である。しかし、滅多に開かれることの無いが故に、その実例は驚くほど少ない。
「…補充要員が必要か?」
「いや、それよりこの『森の結界』とやらをさっさと壊して欲しいね。この中だと俺も自由に動けないよ」
「それなら、無理だ」
「あん?」
「一時的に無効にすることは出来るかもしれないが、かなり強固な結界だ。破壊は不可能だろう」
「そ、まぁいいや。俺はとりあえずあのメイドを殺すよ。後何回かやりあえば多分殺せる。最悪でも、逃げの一手で時間は稼いでみせる」
「『あの執事』の関係者だ。油断はしないことだ」
「へいへい」
「解っているのだろう? これは我らの願いが成就するかどうかのひとつの賭けだ」
「解ってるさ。『あの方』に伝えて良いよ? 『石呪の魔眼』は確保、ってね」
「まぁ、いいさ。私は此処で空間操作を続ける。準備は整った。任せたぞ、魔法名誓いは先駆ける矢Initiative』」
「任された。『SATARIEL隠れること』」
互いを魔法名で呼ぶこと。これにいかほどの意味があるかは魔術師でないと解らない。魔法名とは、魔術師が行う『誓い』。故に、これだけは何があっても破ってはいけない。自身を裏切ることに等しいからだ。
故に、彼らは今、自身の存在価値を賭けた勝負に出る意思表示をしたのだ。


witten by 北翁