リレー小説(現在無題) パキン。 執事は、自分の部屋で、年齢の割には量の多い銀髪を撫で付けていた。その櫛が、小さな音を響かせて折れた。 「…マリアが、 自分の最も信頼し、人間の形を持ったものとしては唯一共に暮らす存在である。その存在が失われたというのに、執事に動揺は無い。 「客人は一人、か。マリアがいなくなっては、宴の規模を少々変えることになるだろう。」 立ち上がり、姿見の前で服の襟を直す。そして、何かを確かめるように、眼帯に手を当てる。 「まったく、粗相の無い様にと言ったはずなのだが。」 小さくため息をつく。宴が終わったら、少々説教が必要だろう。 暗い部屋の戸を開け、執事は宴へと降りていく。 ◇◇◇ 「さあ、 主催者のいないホールを一人歩き出す男。赤い絨毯はさらに紅く、宴に相応しくない鼻を突く鉄の匂いと、いやらしい粘性を持つ。 「どこに隠れている? さあ、出ておいで」 「おやおや、何か、お探し物ですかな」 男の背後、階段の上から、老人の声がした。 整った銀髪、小綺麗な執事服、穏やかで優雅な佇まい。そして、大きな眼帯。 「…貴様」 「ようこそいらっしゃいました。本日は我が主の計らいで、宴を開く事になっております。ただ、何分にも人が少ないもので、準備にはまだ少々時間が…」 「石呪の魔眼は、どこにいる」 老人の丁重な挨拶を遮り、男は強い口調で言った。 「これはこれは、ずいぶんとせっかちなお客様だ。なるほど、すでに当家のメイドと一踊りされた後でしたか」 「こいつの事か」 男は、床に横たわる紅いメイド服の少女に、ちらりと目をやった。 「ああ、客人を差し置いて眠ってしまうとは何たる非礼。しかし彼女は非常に優秀なメイドでして、この館の事なら何でも知っております。今夜は久しぶりの宴とあって、はしゃぎすぎてしまいましたようで…どうかお許しを」 深々と頭を下げる執事。微動だにせず睨む男。 「ささ、長旅お疲れの事でしょう。ワインだけですが、準備させていただいております。どうぞこちらへ」 ワイン。 その意味するところを悟った男は、素直に従った。どうせ自分はこの者に用があるのだから。 「お受けしよう」 三つの椅子が並ぶ小さな円卓の上には、三つのグラスと簡単な肴が置かれていた。男はそのうちの一つに座る。 執事はワインボトルを入れたバスケットを持って戻ってきた。 「お注ぎいたします」 男は無言で促す。 「お一人では退屈でしょう。私もご一緒させていただいてよろしいですかな」 「いいだろう」 執事は一礼して、男の正面に座った。 「では改めて。ようこそいらっしゃいました。館を代表して、歓迎させていただきます」 グラスの当たる音が響く。ワインを一口口にすると、執事は言った。 「今宵は月が美しい。宴に相応しい、何と力強い光であることでしょう」 男は答えない。グラスを小さく傾けるだけである。 「今日は、月の位置が違う。この館にも、月の光が降り注ぐ。…あなたのお仲間は、優秀な術者のようですな」 男の動きが、止まる 「昔、私には親友がいましてね。『彼』もまた、非常に素晴らしい術者でした。魔術を嗜む者ならお分かりかとは思いますが、大規模な空間を一度に操作する…正に魔術でした」 顔をグラスに向けたままの男は、目だけで執事を見た。 「頂いてよろしいかな?」 そして、皿の上の干し肉を一切れ取る。 「ええ、どうぞお召し上がり下さい。…『彼』は私をはじめ、同じ組織に属する一部の者にだけその術を披露してくれました。私は『彼』に憧れ、同時に嫉妬した。そして、自分の能力の無さに衝撃を受け、組織を抜けたのです」 執事の話は、続く。 「そして私は、誰かに仕えて生きる道を選んだ。その場所がこの館、その相手が我が主です。主もまた、私と同じ組織に属する方でして、やはり高度な魔術を使用できる方でした。『彼』の魔術式を解析し、限定的にではありますが実用化する事に成功しました。そしてこの森に結界を張り、密やかに生活されていたのであります。 男に、その話を熱心に聞くつもりは無いようである。 「良い干し肉だな」 「光栄です」 残ったワインを飲み干すと、男は重い口を開き、話に乗り始めた。 「…私の連れも、その組織の人間だ」 今度は、執事が沈黙のままに話が始まる。 「こんな辺鄙な所で暮らしていては知らないかと思うが、その組織の人間が、最近、次々と消息を絶っている」 「…ほう?」 「しかも、高位の術者からだ。彼らは元々他人と共に過ごす事を嫌うので、消息を絶ったと言っても生死さえ定かではない」 「たしかに、そうですな。このような無何有の地に暮らすほどですから」 「ワインを」 「承知しました」 空になったグラスに、再びワインが注がれる。男はそれを一口飲むと、グラスを回しながら言った。 「そうだ。マイグラスがあった事を忘れていた」 男は外套の中に手を差し入れた。 「…結界を張るには、魔力を湛える物を要所に配置する必要がある」 「はい。主の場合、それは杯でした」 「…そいつは、これの事か?」 懐から、一つの杯が取り出された。 「さすがにこれだけの大結界に長時間干渉するとなると、連れも大変なのでね。森の中に、木の生えない狭地があるだろう?」 「ええ、ございます」 「そこに隠されていたものだ。比較的防御が甘い所なので、奪わせてもらったよ。これで貴方の主の結界の効力は薄れる」 執事は動揺しない。 「確かにあの地は木が生えず、防御は薄くなる。ですからそこをマリア…先ほどのメイドの名ですが、彼女の巡回路に組み込んであります」 「知っている。先ほどそこで軽く挨拶を交わしたよ」 「そうでしたか。そして、こちらではマリアと踊り…。一目惚れでもされましたかな、ほっほ」 執事が笑う。それは嫌味でも嘲りでもない、純粋な笑いである。 「ああ、とても美しい女性だ。いや、どちらかと言えば可愛らしい、かな。もう少し踊っていたかったのだが、お疲れのようだったのでね」 ワインを飲み、干し肉を食む。マリアが死んだ事実など、そこには無いようだった。 「そうそう、彼女と一緒に散歩していた、子豚がいただろう」 「カトブレパスですか。あれは主の愛猪ですが」 「どこにいる?」 男の目が、獲物を射るような光を宿す。 「…その前に、一つだけお願いがあります」 執事の表情に変化は無かったが、口調には核心に迫らんとする重みがあった。 「何だ」 「そのフードを脱いでは頂けませぬか。客人として、館の中では外套を脱ぐのが礼儀でございます」 男は小さく鼻で笑うと、そのフードを取った。 執事の表情が、初めて曇る。同時に、一連の記憶が鮮明に蘇ってくるのを感じた。 ◇◇◇ ――それは、『彼』がただ一度だけ大規模時空間魔術を披露した、少し後の事だった。 『彼』はできたばかりのその魔術を推敲し、さらに効率的に、効果的に制御する方法を模索していた。 その最中であった。組織の入る建物の一角で悲劇は起きた。 談話室のような部屋に、一人の術者が駆け込んできた 「た、大変だ! アーチャーが、アーチャーが…!」 騒ぎを聞きつけ、組織の全員が向かったのは、『彼』の研究室である。そこに近づくに連れ、吐き気を催すほどに激しい時空の歪みを感じ取る。 『彼』の部屋の周りは、周囲の色さえ歪んで見えるほどに強い異状が発生していた。アーチャーと呼ばれていたその男は、その中で必死にもがいていた。 「だ、誰か! 助けてくれ! 助けて… たす…」 誰一人近づく事もできないまま、アーチャーはどす黒い空間に飲み込まれ、捻り潰されるように体を引き千切られ、そして、その闇ごと消滅した。 残ったのは、静寂と、無表情に立ち尽くす『彼』の姿だった。 「どういう事だ? 何が起きたんだ」 「まさか…お前…」 「おい、説明しろ!」 皆がざわめく。その声は次第に疑いと怒りの感情を帯び、『彼』に突き刺さる。 「…だ…。」 『彼』は震えるような声を押し出した。表情は帽子の影で見えない。 「…失敗だ…。やはり、この術は強力すぎた。私には、制御しきれない…」 『彼』は俯いたまま、皆の間を通り、部屋を出て行った。 それから数日後、『彼』は自らの研究資料や道具を持って、誰にも気付かれぬままに姿を消した。 ◇◇◇ 「…アーチャー。貴方のその顔つきは、アーチャーにそっくりだ」 執事の顔が、驚いたような、懐かしむような表情に変わっていく。 「アーチャーは、私の父だ」 「!」 「知らなかっただろう。魔術師は、自分の事など話そうとしないからな。ちなみに連れの結界術者は、貴方の言う『彼』のライバルだった方のご子息だ」 「…方? 貴方はその方に仕えているのですかな」 ここに来て、初めて執事の態度が変わる。少なくともそれは、客人をもてなす温厚な執事のそれとは異なるものであった。 「あの方は、非常に有能な結界術者だ。そして、私に真実を語って下さった。我が父が何故死んだのかを…。以来、私は復讐を誓った。あの方と共に手を組み、父を殺したあの男を、この手で葬り去ってやると!」 「……」 「あの方のご子息もまた、才能ある結界術者。この程度のものであれば、外から干渉して効力を弱める事もできる。これは、その保険だ」 先程の杯が、執事の足元に転がった。 「まさか、ここ最近組織の魔術師達が消えていると言うのは…」 視線を杯に落とす事無く、執事は尋ねた。 「察しが良いな…。そう、我等の所業よ。同胞ならば消えたあいつの情報を知っている可能性が高い。それに、もし我等の動きに勘付かれると厄介なのでね。予め消させてもらった」 執事の喉が動いた。 「ちなみに貴方の主を殺ったのも、な」 閉じられているはずのホールに、風が吹いた気がした。何という事だろう。自分がもてなしていたのは、主を亡き者にした主犯だったのだ。 いや、しかし。執事は思い直す。 この者こそ、自らが望んでいた客ではないのか。主とも、『彼』とも繋がりのある、能力ある魔術師。最高のもてなしをするに相応しい客ではないか。 「さあ、お話はここまでだ。奴を殺るには更なる力が要る。そのために、今日はここに来た」 「カトブレパス、ですか」 「そう。石呪の魔眼だ。あの力を持ってすれば、奴を倒す事もできよう」 執事が、ふっと笑った。 「何がおかしい!」 男は、急に怒りを露にする。応接間に、その怒声が響く。 「いや、失礼。貴方が少々、哀れに感じられてね」 執事の口調から、謙譲が消えた。 「何? 何だと!」 「貴方は、その方に騙されているのですよ。私が組織にいた頃、誰かと共に手を組んで研究するような者は誰一人いなかった。貴方、自分で言ったでしょう? 『魔術師は、自分の事など話そうとしない』と」 「…っ!」 「私は、あの日の出来事は全て不慮の事故だったと確信している。魔術師ならば、事故に遭う覚悟はあるはずだ」 「…やはり、貴方は殺さなければならないようだ」 今度は、男が不敵な笑みを浮かべた。それに対し、執事は出迎えの時と同じ温厚な微笑で返した。 「最初は『彼』が現れたのかと思って喜んでいましたが…。貴方もまた、私の望んでいた客人だったようだ。最高のワインを出したかいがありましたよ」 「ああ、とても美味い酒だった」 「あれは、我が主が姿を消す直前に、主自ら仕込んだものなのですよ。ですから…。そのラベルを御覧なさい」 「…なるほど、『我が主の血』か。もちろん、比喩だろう?」 「さあ? 解りませんな。何しろ誰も仕込む所は見ていないもので」 「…まあ良い」 男はボトルを回して眺めてから、テーブルの上に戻した。 「話好きの執事だ。だがそろそろ、心の準備はできたか? 私が勝ったら、貴方の知っている『彼』の事、大規模時空間魔術の事、全て話してもらう。もちろん、石呪の魔眼の居場所もだ」 余裕のある微笑を漏らす男から、膨大な量の殺気が溢れ出す。 「良いでしょう。おっとそうだ、宴にはやはり姫君が必要だ。僭越ながら、この館の看板メイド、マリアがその役をお勤めしましょう」 「? 何を…」 言いかけて、男は身をかわす。その残像を一条の光が貫いていった。 振り向くと、真っ赤に染まったメイド服を着たマリアがその場に立っていた。その端正な顔に表情は無い。ナイフこそかわしたものの、彼女の 「いかがです? 彼女は貴方のお気に入りでしたね」 男は微笑したまま、ちっと小さく舌打ちした。そして身を翻すと、執事に言った。 「ああ、文句無しだ。これほどに月が美しい夜も、そうは無かろう。最高の舞踏会だよ、執事殿。…いや、魔眼バロール!」 「光栄です」 執事―バロールは嬉しそうに頭を下げた。 「では踊りを始めるとしようか。よろしくな、マリアさん」 差し出した手に関係ない、平行な視線を男に突き刺したまま、マリアは尋ねた。 「…貴方の 「私の名はイニシアティヴ。 挨拶が終わると、執事が両手を開き、高らかに宣言した。 「さあ、互いの written by 鉄海月 |